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ガラス

ガラス(オランダ語: glas、英語: glass)または硝子(しょうし)という語は、物質のある状態を指す場合と特定の物質の種類を指す場合がある。

昇温によりガラス転移現象を示す非晶質固体[1]。そのような固体となる物質。このような固体状態をガラス状態と言う。結晶と同程度の大きな剛性を持ち、粘性は極端に高い。非晶質でもゴム状態のように柔らかいものはガラスとは呼ばない。詳しくは「ガラス転移点」を参照のこと。
古代から知られてきたケイ酸塩を主成分とする硬く透明な物質。グラス、玻璃(はり)、硝子(しょうし)とも呼ばれる。「硝子」と書いて「ガラス」と読ませる事もよくある。化学的にはガラス状態となるケイ酸化合物(ケイ酸塩鉱物)である。他の化学成分を主成分とするガラスから区別したい場合はケイ酸ガラスまたはケイ酸塩ガラスと言う。いわゆる「普通のガラス」であるソーダ石灰ガラスのほか、ホウケイ酸ガラスや石英ガラスも含まれる。本項目ではこの物質について主に記述する。
ケイ酸塩以外を主成分とする、ガラス状態となる物質。ケイ酸ガラスと区別するために物質名を付けて○○ガラスと呼んだりガラス質物質と呼んだりする。アクリルガラス、カルコゲン化物ガラス、金属ガラス、有機ガラスなど。
板状のガラスは一般に板ガラスと呼ばれる。
語源的にはケイ酸塩ガラスの固体状態を他の物質が取っている場合をもガラスと呼ぶようになったものである。日本語のガラスの元になったオランダ語glasの発音は、英語のglass同様グラスに近いが(近いカタカナ表記は「フラス」。オランダ語のgはのどを震わせる発音。英語・ドイツ語とは異なる)、日本語化した時期が古いため、転訛して「ガラス」となった。日本語での「グラス」は多くの場合はコップの意味になる。

ガラスには多くの種類があるが、その多くは可視光線に対して透明であり、硬くて薬品にも侵されにくく、表面が滑らかで汚れを落としやすい。このような特性を利用して、窓ガラスや鏡、レンズ、食器(グラス)など市民生活及び産業分野において広く利用されている。近代以前でも装飾品や食器に広く利用されていた。また金属表面にガラス質の膜を作った「琺瑯(ほうろう)」も近代以前から知られてきた[2][3]。

ガラスの表面に細かな凹凸を付けた磨りガラスや内部に細かな多数の空孔を持つ多孔質ガラスは、散乱のために不透明である。遷移金属や重金属の不純物を含むガラスは着色しており、色ガラスと呼ばれる。

2002年(平成14年)の統計によれば日本だけでも建築用に3,900億円、車両用に1,700億円、生活用品に3,000億円、電気製品等に8,300億円分も出荷されている[4]。

常温で液体である植物油や魚油などには不飽和脂肪酸が多く含まれ、常温で固体である肉の脂などには飽和脂肪酸が多く含まれている。両者をまとめて油脂と呼ぶ。

普通の油脂は脂肪酸グリセリンの化合物であり、一般にトリグリセリド(トリ-O-アシルグリセリン)の形態を取る(例外 : エコナ等)。

不飽和脂肪酸とは炭素鎖に二重結合もしくは三重結合を持つもののことで、α-リノレン酸、ドコサヘキサエン酸(DHA)、エイコサペンタエン酸 (EPA) に代表されるオメガ3(n-3系)。リノール酸、γ-リノレン酸、アラキドン酸に代表されるオメガ6(n-6系)。オレイン酸に代表されるオメガ9(n-9系)がある。
飽和脂肪酸とは炭素鎖に二重結合もしくは三重結合を持たないもののことで、パルミチン酸、ステアリン酸等がある。
普通、二重結合が多いほど融点は低いが、酸化によって固まりやすく、そのようなものを乾性油とよぶ。この性質は油絵具・塗料などに利用される。

植物から純粋に精製される精油(エッセンシャル・オイル)は、比重が小さく水に浮くことから油と称されるが脂肪酸を含まず揮発性であり油脂とは区別される。アロマセラピーに用いられる他、食品の着香料とされるものもある。

同様に、石油など鉱物由来の揮発性物質(軽油、灯油など)も油脂とは区別される。 揮発油は一般にはガソリンのことを指す。

コーヒー

トルココーヒー
トルココーヒーを淹れる道具
1517年、オスマン皇帝セリム1世によるエジプト遠征の際にコーヒーがオスマン帝国に伝わったと言われている[43][44]。アラビア語の「カフワ」がトルコ語に転訛して、トルコに入ったコーヒーは「カフヴェ」と呼ばれるようになった[45]。トルコに伝わったコーヒーは、炒って砕いた豆を泡立つように煮出して飲まれ、トルココーヒーの名前で知られるようになった[44]。オスマン帝国がコーヒーの産地であるイエメン、エチオピア沿岸部を支配下に収めるとコーヒーの普及はより進み、サファヴィー朝が統治するイラン、ムガル帝国が統治するインドにも伝播した[46]。

コーヒーがもたらすであろう利益に着目した商人はイエメンの外に大量のコーヒーを持ち出し、小規模のスタンドや店舗でコーヒーを販売し、飲み物の宣伝を行った[47]。1530年代にオスマン帝国支配下に置かれていた北シリアのダマスカス、アレッポコーヒー店が開かれる[48]。1550年代にはイスタンブールにもコーヒーを供する店舗が開かれ[25][46][48][49][50][51][52]、皇帝セリム2世の時代(1566年 - 1574年)にはイスタンブール内の「コーヒーの店」は600軒を超えていた[46][53][51]。このような店舗はカフヴェハーネ(直訳するとカフヴェの家、すなわち「コーヒー・ハウス」)あるいは単にカフヴェと呼ばれ、庶民や知識人が集まって語り合ったり、詩などの文学作品の朗読会を行う社交の場として広まった[54]。しかし、地方のカフヴェハーネはならず者のたまり場となり、1570年に学者たちはイスタンブールのカフヴェハーネを非難した[55]。また、カフヴェハーネでは政治的な議論の場にもなり、時には権力者から弾圧を受けることもあった[56][57]。1580年にコーヒーがワインと同種の飲み物であると公式に分類された後も、オスマン帝国内のコーヒーの消費は増え続ける[55]。

オスマン皇帝アフメト1世の治世(1603年 - 1617年)に「コーヒー豆は炭になるほど強く火にかけられていない」という見解が出され、コーヒーはイスラーム世界で公的に認可された飲み物となる[58]。メッカにおいては、コーヒーはザムザムの泉の水と同じ効力のある「黒いザムザムの水」として飲まれ、巡礼者たちはコーヒー豆を故郷に持ち帰った[59]。また、オスマン帝国の貴族・高官の間には、コーヒーを供するにあたって厳格な作法が成立していた。

初期のイスラーム世界のコーヒー店ではコーヒーは大鍋に入れて温められ、小さな容器に移して客に供されていたと考えられている[60]。イスラーム世界ではコーヒーに砂糖と牛乳を入れることはほとんどなく、調味には主にカルダモンが使われていた[61][62]。また、牛乳を入れたコーヒーはハンセン病の原因になるという迷信が存在していた[62]。1600年頃のカイロでコーヒーに砂糖が入れられ始められ、1660年頃に中国に滞在していたオランダ大使ニイホフがコーヒーに牛乳を加える飲み方を始めたと言われている[63]。17世紀のカイロを訪れたヨーロッパ人ヴェスリンギウスはコーヒーの苦みを無くすために砂糖を入れる人間が現れていたことを記し、トルコでは「コーヒーは甘くなくてはならない」という格言が生まれた[64]。

オスマン帝国を訪れたヨーロッパの商人たちはコーヒーを好奇の目で見、旅行記などで故郷の人間にコーヒーの存在を伝えた[65]。ヨーロッパ世界でもコーヒーハウスが建つようになるとコーヒーの需要は増加するが、供給源はイエメンに限られていた[66]。ヨーロッパの商人に対抗できる商品を探していたカイロのイスラーム商人たちはイエメンのコーヒーに着目し、コーヒー交易を独占した[67]。

トルコ革命を経て成立したトルコ共和国ではコーヒーは生産されておらず、消費量も少ない[68]。だが、茶がトルコの主要な飲み物となった後も、トルコでは茶はあくまでも略式の飲み物であり、コーヒーが正式な場で出される飲み物だととらえられている[69]。かつてオスマン帝国支配下に置かれていたこともあるヨーロッパのバルカン半島でも、セルビア風の煮出しコーヒーとともにトルココーヒーが飲まれている[70]。

 

狭義には、オランダイチゴ属の栽培種オランダイチゴ(学名、Fragaria ×ananassaDuchesne ex Rozier)を意味する。イチゴとして流通しているものは、ほぼ全てオランダイチゴ系である。

広義にはオランダイチゴ属 (Fragaria) 全体を指す。英語圏でのストロベリーはこの範囲である。バラ科オランダイチゴ属の半落葉性草本であり、北半球の温帯に広く分布しているほか、チリ中南部ハワイ諸島にも分布している[3]。

さらに最広義には、同じバラ亜科で似た実をつける、キイチゴ属 (Rubus) やヘビイチゴ属 (Duchesnea) を含める。これらを、ノイチゴ、と総称することもある。オランダイチゴ属の二倍体の種にも、この総称に含まれているものがある。

漢字表記の場合は、現代の中国語では、オランダイチゴ属は「草莓 拼音: cǎoméi ツァオメイ」とされる。明治時代から広く日本国内各地で生産されるようになったオランダイチゴ属は、日本語では「苺」と表記される場合が多い。

 

たばこの有害性

世界保健機関(WHO)元事務局長のグロ・ハーレム・ブルントランドが「たばこは最大の殺人者である」[1]と述べているように、20世紀になってからたばこの有害性が度々指摘されている。主な害として、中毒性、発がん性、心臓病のリスク向上などが挙げられている。

薬物に関する独立科学評議会における、ニコチン含有製品を多基準意思決定分析(英語版)によって数値化した研究では、紙巻きたばこの有害性を100とすると、小型葉巻67、パイプ22、水パイプ14、電子たばこ4、ニコチンガムやパッチは約2である[2]。

たばこ産業は喫煙者を安心させるために「低タール」の紙巻たばこを開発し、1980年代に入るとさらに「ウルトラライト」などの商品を販売促進してきた[17]。近年では、むしろ肺がん死亡率が上昇してきているという疫学研究の結果が得られている[18]。こうしたタバコが原因のひとつとして説明されている[19]。古き時代と比較して、女性も男性のように早い年齢で頻繁に吸うようになったことも、女性の死亡リスクを増加させてきた[20]。

2015年12月16日のイギリスの議会庶民院では、英国公衆衛生庁(英語版)が「電子たばこが紙巻たばこの喫煙よりも95%安全である」と広報しており、デーヴィッド・キャメロン首相(当時)は、「国民の健康を改善するための正当な方法であることをはっきりと説明すべきである」と答弁した[21]。

死亡者で比較すれば、2009年アメリカ合衆国では、たばこに起因する443,000人の死亡があり、アルコールでは98,334人であり、他の薬物では37,485人で、2008年に処方薬の過剰摂取による死亡が20,044人、違法薬物の使用に起因する死亡は16,044人である[22]。